躑躅ケ崎館

山梨県甲府市古府中町

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JR中央本線「甲府駅」、北へ進むと武田神社、この地が躑躅ケ崎館(つつじがさき)だったんだね。

2008年11月、はじめての山梨だね。 武田氏三代のお城だよ。
   
   
館の東方に、西にせり出すように延びる稜線がある。

そこは躑躅ケ崎という、この館として呼ばれていたんだ。 武田信虎、信玄、勝頼の館。

やっと来た、でも夕方、あまり見れないね。

東にあるお墓とか、一日かけてゆっくり探索した方がいいよ。
  
   
「人は石垣、人は城」

人の気持ちや信頼が一番大切ということだね。

人の心、分かっていても難しい。 自分の中にある石垣と城、守るも崩すのも自分自身。

それが一番難しいかな、堀もあるし。
   

   
「武田氏館」は「躑躅ケ崎館」とも呼ばれ、武田信玄の父・信虎が、永正十六年(1519)に石和からこの地に、館を移したことから始まります。

その後、信玄・勝頼と、武田家当主の館として使われました。

そして武田家の滅びた後、文禄年間に館の南方に今の甲府城が作られるまでの、約七十年にわたり、この館一帯は、領国の政治・経済と文化の中心地として発展しました。

館は、一辺が約200mの正方形の主郭(現武田神社)を中心に、その回りのいくつかの副郭とによって構成された平城形式のものです。

館の回りには、家臣の屋敷が建てたれ、南方一帯には格子状に整備された道路に沿って、城下町が開けていました。

この館と城下町は、戦国時代の大名の本拠として、第一級の規模と質を誇るものです。

『現地案内を参照』

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