兵庫県姫路市山田町807 | |
人物史跡一覧 | |
又兵衛の出生は諸説あり、永禄3年(1560)加西市山下町で生まれた説、ここ姫路市山田町で生まれた説があります。 父は御城主・小寺政職の下にいた後藤新左衛門基国で、父が亡くなると又兵衛は姫路城主・黒田官兵衛に預けられました。 しかし官兵衛が荒木村重の伊丹有岡城に幽閉された時、母方の伯父・藤岡九兵衛が謀略に関わったことから追放、のち長政に呼び戻され、黒田二十四騎の一人になりました。 |
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官兵衛が亡くなると、長政との仲が悪くなり黒田家を出奔、浪人の身となるのです。 慶長19年(1614)、大坂の陣では「大坂五人衆」の一人になり、夏の陣で徳川方と戦うも、真田幸村らが霧で遅れたため、伊達政宗隊との乱戦で討ち死にするのです。 『加西市観光協会発行 後藤又兵衛ゆかりの地を参照』 |
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