鯉 塚

大阪府豊中市庄本町1丁目2-4
大阪府の神話史跡1
 
名神高速道路「豊中IC」から10号線を南へ、庄本交差点を西へ、阪急神戸線を越えると椋橋総社、境内には鯉塚の石碑がありました。

ここは椋橋総社だよ。

天照大神の弟・素戔嗚之尊(すさのおのみこと)が高天原から鯉に乗り、神崎の水門(みなと)を経て、当地に来られました。

この鯉はここまで来ると、力つきて死んでしまうのです。

その鯉を埋めたのが鯉塚と云われています。
  

鎌倉時代、この地椋橋荘は後鳥羽上皇の寵姫亀菊の所領でした。

地頭との間に紛争が生じ、後鳥羽上皇は時の執権北条義時に地頭の改補を要求し、幕府はこれを拒否し、当時は朝廷と幕府との間で緊張関係がありました。

このことが起因となって「承久の変(1221)」が起こるのです。

『現地案内を参照』

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