龍馬 いろは事件

広島県の幕末史跡
  
「桝屋清右衛門宅(ますやせいえもん)」
   広島県福山市鞆町422
慶応3年(1867)4月23日、龍馬ひきいる海援隊の「いろは丸」と、紀州藩船「明光丸」が瀬戸内海の六島沖で衝突します。

これを「いろは事件」といい、龍馬はじめ海援隊は桝屋清右衛門宅、紀州藩は円福寺を宿舎に滞在し、魚屋萬蔵宅(うおやまんぞう)と対潮楼で交渉を行いました。
  

桝屋清右衛門宅
  広島県福山市鞆町422
当時、命を狙われていた龍馬は「才谷梅太郎」という名で宿泊し、屋根裏の隠し部屋に身を潜めていました。

龍馬は万国公法に基づいて紀州藩から多額の賠償金をとることに成功するのです。