神戸海軍操練所跡碑

兵庫県神戸市中央区新港町

 兵庫県の幕末史跡
元治元年(1864)、江戸幕府軍艦奉行の勝海舟により神戸に設置されました。

外国との通商に反対し、鎖国を通そうとする攘夷論が盛り上がると、外国船の来航に不安を感じ、大阪湾の防備が重要とした幕府は勝海舟に兵庫や西宮に砲台を計画させます。

のち勝海舟と坂本龍馬は海軍養成機関である操練所を建設しました。
  

でも、薩摩藩と会津藩は京都から攘夷派の長州藩を追放した「禁門の変」により、入所者の中に多数の長州藩士や攘夷の志士がいたことから勝海舟は失脚し、翌年廃止となるのです。

平清盛の大輪田泊開拓、そして勝海舟の操練所が、漁村であった神戸を港町に成長させたんだね。