河合耆三郎 誕生の地

兵庫県高砂市高砂町今津町

 兵庫県の幕末史跡
   
河合耆三郎(きさぶろう)は、新選組隊士・勘定方でした。

河合家は富裕な米問屋の蔵元で、耆三郎は長男として生まれ育ったが、世の中を変えるためには、侍にならなければという高い理想で新選組に入隊しました。

実家で培った算盤と書道に腕を見込まれて、勘定方に任命され隊費を任され、池田屋事件にも参戦し、褒賞金をもらいました。
  

慶応2年2月12日、隊の資金数十両を紛失したとして粛清されたとされるが、真相は明らかではありませんでした。 享年29歳でした。

粛清を知らされた実家では、大変怒り新選組が建てた墓とは別に壬生寺に立派な墓石を建立しました。

生家はここ今津町の一角にあり、写真は隣にある「旧工楽松衛門邸」です。

『現地案内を参照』