橋本左内萬居跡

京都府京都市中京区矢幡町301

京都府の幕末史跡2
  
二条城の東側、福井藩邸と並んでいるね。

橋本佐内は福井藩士で、幕末の志士で、安政5年(1858)2月から4月まで、この地にあった福井藩邸に居住して、活躍しました。

左内の号は景岳で、福井城下に生まれ、大阪、江戸で洋楽、医学を学び、藩主・松平慶永(よしなが)に認められて藩学明道館の幹事となりました。
   
1857年の藩政改革には由利公正らと手腕を振るいました。

折から幕府の将軍継嗣問題が起こり、藩主を先頭に一橋慶喜を立てる運動を展開します。

左内は京都に来て、桃井亮太郎または桃井伊織の名で盛んに活躍したのですが、井伊大老により運動は失敗、牢舎に入れられ、1859年の安政の大獄により死刑に処されたのです。

『現地案内を参照』