木戸孝允旧跡<

京都府京都市中京区土手町通竹屋町下ル

京都府の幕末史跡2
  
明治元年(1868)、木戸孝允は総裁局顧問に拝命され、明治新政府のかじ取りを任されることになります。

五箇条の御誓文、版籍奉還、廃藩置県、四民平等、三権分立、二院制の確立など明治政府に実施させました。

明治4年(1871)岩倉具視をリーダとして海外視察を行っている間に、西郷隆盛を主とする留守組による征韓派と対立していくのです。
  

明治10年(1877)、西南戦争が勃発し、木戸孝允は西郷軍征討の任に当たりたいと希望していました。

しかし、かねてからの病気が重症化し、5月26日、木戸孝允はここで世を去るのです。(享年45歳)

『Wikipediaを参照』