森寛斎宅蹟

京都府京都市中京区蛸薬師町

京都府の幕末史跡2
  
森寛斎は、山口県の出身で、長州藩士であり、絵師、日本画家として京都を中心に活躍しました。

京都では、自宅を勤王志士たちの密会の場にし、中には山県有朋や品川弥二郎がおり、特に品川とは良く交流をしていました。
  

寛斎は京都の様子を長州に伝えるため、長州と京都をよく往復し、新選組の関三十郎から命を狙われてとも云われています。

明治以降は京都に永住し、明治13年(1880)京都府画学校(現在の京都市立芸術大学)を設立し、明治23年(1890)には帝室技芸員を拝命、明治27年(1894)室町二条の自宅で息を引き取るのです。

『Wikipediaを参照』