肥前鹿島鍋島藩屋敷

京都府京都市中京区新町通御池西南

京都府の幕末史跡2
  
佐賀藩は、肥前国佐賀郡にあった外様藩で、肥前藩ともいい、鍋島家が藩主であったことから鍋島藩と呼ばれ、明治維新を推し進めた薩長土肥のひとつです。

藩主・鍋島直正は、科学技術の研究機関を創立し、鉄鋼、加工技術、大砲、蒸気機関、ガラスなどの開発を行い、幕末期の最も近代化された藩の一つになりました。
  

慶応3年(1867)、藩主直大は新政府から北陸道先鋒に任命され、佐賀藩兵は戊辰戦争に参加するために東上、江戸での上野戦争で戦い、明治政府から大くの人物が重用されたのです。

副島種臣、江藤新平、大隈重信、大木喬任(たかとう)、佐野常民(つねたみ)らが活躍し、日本の近代化に貢献、しかし明治7年(1874)の佐賀の乱で、江藤新平と島義勇は処刑されています。

『Wikipediaを参照』