堺町御門

京都府京都市上京区京都御苑

京都府の幕末史跡1
  
文久3年(1863)8月18日、朝廷内の孝明天皇、中川宮、公武合体派の公家、会津・薩摩藩らは、三条実美ら激派の公卿七人と尊皇攘夷派の中心である長州藩を京都から追放する政変を起こしました。

堺町御門警備担当の長州藩が御門に集結した時、門は会津・薩摩藩兵で固められ、門内に入ることは許されませんでした。
  

政変の結果、長州藩兵は京都から追放され、激派の公卿七人も長州に逃げ落ち(七卿落ち)、京都では一時的に公武合体体制が成立しました。

公卿七人は、三条実美、三条西季知、四条隆謌、東久世通禧、壬生基修、錦小路頼徳、澤宣嘉で、慶応3年(1867)12月の王政復古の大号令にて赦免され、三条実美が太政大臣など明治政府の要職に就くのです。

『現地案内を参照』