三条大橋

京都府京都市中京区中島町

京都府の幕末史跡2
  
東海道、中山道、北陸道はすべて三条大橋から始まります。

橋の西詰には、幕府が決めた法度や掟書(おきてがき)などを木の板に書き、人目を引くように高く掲げる高札場がありました。

元治元年(1864)、長州藩が京都での復権を目指し、会津藩の排除を挑んだ武力衝突(禁門の変)の後、「長州の残党に騙されるな、かくまったら同罪であるど」という高札があげられました。
  

しかし高札は何者かによって抜き捨てられ、奉行所が新しく立てても、また抜き捨てられました。

新選組に犯人逮捕が要請され、一隊は先斗町町会所、大橋東詰めの荒物屋に一隊、木屋町東に一隊、高札の向いに二人が構えました。

土佐藩の藤崎吉五郎、宮川助五郎はじめ八人が高札を抜こうとした時、新選組と衝突するのです。

『参考文献を参照』