新選組

京都府の幕末史跡2
 
京都駅から東、高瀬川を北へ歩くと幕末の跡がある。
  
「光縁寺」
   京都市下京区四条大宮町
阪急京都線「大宮駅」の南100mぐらい、山門前には「新選組之墓」とある。

当寺の門前近くに新選組の馬小屋があり、毎日門前を隊士達が往来し、その中に山南敬介がいました。

当時の住職・良誉上人と山南敬介は親交が生まれ、山南の紹介で屯所で切腹した隊士達や山南自身も埋葬されているのです。
  
光縁寺には、28名の新選組隊士関係者が埋葬されています。

三つのお墓は、右は山南敬介ら5名、中央は大石造酒蔵、左は松原忠司ら12名で、右隣には沖田総司の縁者のお墓があります。

『光縁寺案内書より』  
  

「新選組屯所 旧前川邸」
   京都市中京区壬生賀陽御所町
屯所(とんしょ)は、兵士などが詰めている所という意味です。

文久3年(1863)、関東から将軍護衛のために来た新選組は、前川邸と八木邸を屯所としています。

池田屋事件の発端となった古高俊太郎が拷問された蔵、山南敬介が切腹した部屋などが今も残っているらしい。
  

「八木邸」
   京都市中京区壬生梛ノ宮町
浪士組時代、近藤勇と試衛館一門7名や芹沢鴨、新見錦、平山五郎、平山重助、野口健司らが宿としました。

浪士組が江戸へ引き上げた時、近藤勇、芹沢鴨ら13名が残り、のち芹沢鴨、平山五郎ら4名が暗殺されるのです。

和菓子がおいしそう。
  

「壬生寺」
   京都市中京区壬生梛ノ宮町
文久3年(1863)、前川邸と八木邸を宿舎とした新選組は、近くの壬生寺を兵法訓練場として使い、剣術、馬術や大砲の訓練が行いました。

大砲で瓦が壊れたらしいよ。 
  
「壬新選組隊士慰霊塔」
壬生寺境内の壬生塚にあります。

新選組隊士11名、近藤勇、芹沢鴨、平山五郎、河合耆三郎、阿比原栄三郎、田中伊織、野口健司、奥沢栄助、安藤早太郎、新田革左衛門、葛山武八郎が祀られています。
  
「近藤勇像」
俳優・故上田吉二郎が発起人となり建立され、左側には近藤勇の「遺髪塔」があります。

池田屋騒動があったとされる祇園祭宵山の7月16日には、「新選組隊士等慰霊供養祭」が行われているのです。