吉田松陰 幽囚の旧宅

山口県萩市椿東1537

山口県の幕末史跡
 
松下村塾や松陰神社と同じ場所にあります。

この建物は吉田松陰の父・杉百合之助(ゆりのすけ)の旧宅で、親族の瀬能吉次郎の所有だったので、かなり大きい建物です。

嘉永6年(1853)、ペリーが浦賀に来航した時、師の佐久間象山と黒船を望遠観察し、西洋文明に心を打たれます。

安政元年(1854)、松陰は伊豆下田沖でペリー率いるアメリカ軍艦(黒船)に乗り込もうとして失敗、江戸伝馬町の牢獄に捕らえられ、のちに萩の野山獄に入れられました。

安政2年(1855)に釈放され、実家である杉家旧宅で預かりの身となり、邸内の3畳半の1室に幽囚され、謹慎生活を送ります。

松陰はここで、孟子や武教全書などを講じ、次第に多くの若者が集まるようになりました。

安政4年(1857)、やがて杉家の敷地で松下村塾を開くことになるのです。

『現地案内&Wikipediaを参照』