所郁太郎 顕彰碑

山口県山口市湯田温泉2−5

山口県の幕末史跡
 
天保9年、美濃国赤坂に生まれ、京に出て医学を学びます。

さらに大坂の緒方洪庵の適塾で西洋医学・洋学を修め、学・術ともに精進しました。

京都で医院を開いた時、長州藩の京都邸の近くであったため、藩の邸内医員を委嘱されました。
  
尊皇の志が篤く、長州藩士と深く交わって時勢を通観し、医業をやめて国事に尽くそうとし長州に来住します。

下関の攘夷戦にも参加し、七卿西下については、その医員に命じられました。

元治元年(1864)、井上馨の袖解橋の遭難では、歳ただちに駆け付け、数か所の刀傷を50数針縫い合わせる大手術をし、、瀕死の井上を奇跡的に救ったのです。

慶応元年(1865)正月、高杉晋作が兵を挙げ、藩の俗論党と戦った時、所は迎えられて遊撃隊の参謀となり、高杉に協力しています。

その後、幕府の長州征伐に備えて、軍を進めようとした時、にわかに病んで陣中で没しました。

享年27。

『現地案内を参照』