山口藩庁門

山口県山口市滝町1-1

山口県の幕末史跡
 
文久3年(1863)、毛利敬親は海防上の理由から海沿いの萩城から山口へ藩庁を移します。

元治元年(1864)、尊王攘夷派の長州藩が公武合体派の薩摩・会津・桑名藩と京都御所周辺で戦った事件(禁門の変)が起こりました。

同年、第一次長州征伐で、幕府恭順を主張する俗論派が藩政を掌握したため、毛利敬親はいったん恭順を決め、萩に藩庁が戻され、山口政事堂も破却されました。
  
その後、高杉晋作を中心に長州諸隊が功山寺に挙兵し、高杉らの倒幕派が藩政を掌握したため、慶応元年(1866)、山口政事堂が再建されました。

慶応2年(1866)、第二次長州征伐の時には、政治や軍事の拠点として機能していたのです。

『Wikipediaを参照』