吉田稔磨誕生の地

山口県萩市椿東1526

山口県の幕末史跡
 
天保12年1月12日(1841)、稔麿(としまろ)は萩藩の吉田清内の嫡子として生まれました。

安政2年(1855)、吉田松陰が実家である杉家旧宅で謹慎生活中に松下村塾に入門し、兵学を深く学びました。

稔麿は、久坂玄瑞,、高杉晋作、入江九一とともに松陰門下の四天王と称されました。
  
文久3年(1863)、高杉晋作の奇兵隊に参加しています。

元治元年(1864)6月5日、京都三条の池田屋に潜伏していた長州藩・土佐藩などの尊王攘夷派志士を新選組が襲撃した事件(池田屋事件)に吉田稔麿も出席していましたが、一度屯所に戻るため席を外しました。

しばらくして戻ると新選組が池田屋を取り囲み、奮闘の末に討ち死にするのです。 享年23歳。


『Wikipediaを参照』