琵琶湖を歩く 2日目

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坂本〜雄琴〜堅田
暑いし、足が痛いし、でも楽しいから歩いてみたよ。

琵琶湖一周の2日目。

明智光秀でおなじみのJR坂本で降りたよ。
  

    
    
「聖衆来迎寺」

延暦9年(790)、伝教大師最澄が開いたといわれています。

この門が坂本城の表門だったのかな。

   
    
「明智光秀坂本奮城門」

よく見ると、やっぱり城門。

ある夏の日、琵琶湖の水が少なくなって、坂本城の石垣が水面に出てきたよ。

電車乗って見に来たね。

    
    
「森可成公之墓」

中には宇佐山城主である森可成のお墓がある。

森可成は蘭丸の父と書いているね。

蘭丸はあの本能寺で信長の守るために命落としたんだね。

     
     
「柚子の里」

最近は何でも里だよ、なばなの里とか。

と思いながら、北へと歩く。

      
     
「仰木太鼓」

JR雄琴駅の前にある。

平安中期に源家二代の祖、源満仲公が仰木に在任中、五基の神輿を氏神に献上し、盛大な仰木祭を始めます。

千年の歴史を持っているらしいよ。

   
    
「雄琴城」

駅前の名所案内板にあったけど、来るのは同業者ぐらいかな。

ここが城跡と思うのだけど、自信はない。 やっぱり雄琴と言えば温泉だよね。

近くに城主の和田一族のお墓もあるらしい、気になるけど、歩こう。

     
 
「おとせの石」

源平争乱の時代、堅田の出身で京都の源氏の屋敷に奉公していた、おとせは、平家滅亡の時に源氏の白旗を守って大津に逃れます。

追手をさけ湖に飛び込む、しかし平家の侍に白旗を持った手を切り落とされたんだ。

その子は木曽義仲の武将手塚太郎光盛になりました。

   
  
「浮御堂(満月寺)」

実に美しい、平安時代に恵心僧都が湖上安全と衆生済度を切願して建立した。

お堂をぐるりと回る。

歩き出しては振り返る、本当に美しい姿だ。

   
    
「一休和尚修養地 祥瑞寺」

京都大徳寺の高僧・華叟宗曇(かそうそうどん)の門弟に一休宋純(そうじゅん)らがいました。

一休は後小松天皇の皇子、のち大徳寺四十七世となります。

一休さんは皆な知っているね、すごい人物なんだよ。

   
 
「堅田 源兵衛之墓」

ここは光徳寺、蓮如が比叡山延暦寺から迫害を受け、堅田に滞在、その後越前に向かう時、親鸞の木像を三井寺に預けます。

しかし三井寺から人の首を二つ差し出すなら、木像を返そうと言われる。

それを聞いた漁師源兵衛は自分の首を差し出し、ついに木像を返してもらうのです。

と言いながら、2日目も終わろうかな。

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