琵琶湖を歩く 3日目

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堅田〜小野〜和邇(わに)
暑いし、足裏のまめが、痛いよー

琵琶湖一周の3日目、大昔の話が出てくるよ。
  

    
    
「堅田湖族」

堅田は古来から湖上交通の拠点として栄えます。

11世紀頃、琵琶湖の水運と漁業の特権を得て、独自の自治を確立したのです。

遠くから見てたら、運動場にある銅像かと思ってしまっていたよ。

   
    
「親鸞聖人御像」

ここは泉福寺、親鸞は鎌倉時代、浄土真宗の開僧です。

比叡で天台宗を学び、法然の門弟となりました。

でも法然は土佐に、親鸞は越後に流されます。

のち京都に戻り、大谷の姓を授かるのです。

    
    
「琵琶湖大橋」

大橋は歩いて渡れるらしい。

今日も眺めよしだね、北へ歩くよ。

     
     
「勾当内侍の墓(こうとうないし)」

内侍は藤原行房の妹で、新田義貞の妻になりました。

義貞が足利尊氏軍に敗れると越前に向かう途中、内侍をこの今堅田に残します。

義貞が越前国藤島で戦死したことを知ると、内侍は悲しみのあまり琴が浜に身を投げるのです。

      
     
「唐臼山古墳(からうすやま)」

巨大な箱形石棺状の石室が露出し、全長5.45m、幅1.6m、高さ1,2mもある。

このような構造の古墳は、県内では3例しかなく、大和朝廷の官人層だけが造営できるらしいよ。

   
    
「妹子神社」

小野妹子、滋賀県小野村の豪族で、聖徳太子の命により遣隋使として中国にわたる。

中国のすすんだ文化や技術が日本に入り、のち大化の改新となるのだね。

     
 
「小野神社」

祭神は、第五代天皇孝昭天皇の第一皇子・天足彦国押人命(あまたらしひこくにおしひとのみこと)とその七世の孫・米餅搗大使主命(たがねつきのおおおみのみこと)です。

米餅搗大使主命は日本で最初に餅をついた餅作りの始祖と云われ、今ではお菓子の神様として信仰を集めているよ。

   
  
「天皇神社」

牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)と称し、祭神は素盞嗚尊(すさのおのみこと)を祀ります。

天照大神(あまてらすおおみかみ)が天の岩屋に隠れた話、粗暴をおこなった神様だよね。

   
    
「榎 由緒の記(えのき)」

榎町商店街の角にやけに大きな石碑がある。

昔は一里塚の榎が植えられていたらしい。

デカ過ぎのような気がするよ、対向車が見にくいよ。

   
 
「衣川城跡」

寿永3年(1184)、山内義重は『粟津の合戦』で木曽義仲が敗死した時、その功績で衣川の地に築城しています。

今では街中の公園だね。

足裏のまめが、痛いよー。

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