琵琶湖を歩く 11日目

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栗東〜守山
暑いし、ヒザの裏まで痛いし、でも楽しいから歩いてみたよ。

今日はお城ずくし、沢山見たから、一駅しか進めないね。
  

    
    
田植えが終わったね。

小さい頃、手で植えてたよ。

転んで、お尻が泥だらけになってね。

   
    
「正三神社 駒井城」

宇多天皇2代・敦実親王を祖とする近江源氏・佐々木家の菅亮領・満高から19代2男の駒井石見守高郷が最初の城主です。

永禄12年(1569)、駒井秀国の時、信長に攻められ落城するのです。

    
    
「印岐志呂神社 伊岐代城(いきしろ)」

建武2年(1335)、足利尊氏が鎌倉幕府に叛いた時、山門僧徒が急ぎ築いて戦います。

しかし、僧や義徒千人が尊氏軍と戦いますが、負けて社殿は燃えてしまうんだよ。

     
     
「観音寺 芦浦城」

安閑天皇2年(535)、芦浦観音寺が建てられます。

南北朝の頃、西川宗範が湖上官領となり、ここが城としての働きをしていました。

      
     
周りは堀がある、まさにお城、でもお寺だね。

集落の中、東へ歩く。

一度歩いた路地とクロスした。

足裏の靴づれを絆創膏で対策、でも今度はヒザの裏がとてつもなく痛いよ。

   
    
「浄光寺 欲賀城(ほしか)」

草津市と守山市の境界、ここもお寺、土塁も残っているらしいよ。

建武元年(1334)、兵火によりお堂が焼失します。

     
 
「蓮生寺 三宅城」

元亀2年(1571)、信長と本願寺宗徒との金森合戦の出城であった蓮生寺にその後も荒廃することなく、中世寺院が残っているんだ。

またまたお寺だね。

   
  
土塁、久しぶり。

山門前や境内南側には、今も土塁が濠を伴って残っているよ。

周りを囲んだ防御的な色彩が見られ、当時の景観を残しているよ。

   
    
「善立寺 金ケ森城」

建武3年(1336)、川那辺氏は湖上輸送権をめぐる争いの時、川那辺厚高と弟・厚功は武功をあげました。

川那辺道西は、山門に味方したので、信長家臣・佐久間信盛に攻めらえ落城します。

   
 
「勝部神社 勝部城」

明応から大永年間(1492-1528)にかけ、永原重頼が城を築きます。

信長が上洛の時、佐久間信盛らが入りました。

今日はお城ずくしだったね、あちこちにあるから、なかなか北へ進めないね。

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