琵琶湖を歩く 12日目

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守山〜野洲
いつも見えてる山と川がある。

近江富士、そして野洲川だね。

いつも新幹線の車窓で、一瞬で追い越すんだよ。
  

    
    
やっと見えてきた、近江富士だね。

近づいてみる、ついに越える日が来たね。

その前に野洲川を越えなくては。

   
    
「宗泉寺 三上館」

お寺の南に館、周囲は堀で囲まれている。

永享年間(1390-1440)、三上政実が築城します。

三上氏は六角氏に仕え、旗頭を務めていたそうです。

    
    
「祇王井川」

江辺庄に生まれた「祇王」は、故郷の水利が悪く干ばつに悩まされていました。

平清盛に訴えて、野洲川のほとりから琵琶湖野田浦にかけて約12kmに水路を作ります。

その時の風景がモチーフになっているよ。

     
     
「市三宅城」

集落の中に市三宅公民館があるよ、公民館の方に案内していただいた。

永原氏の支城で、永原孝房がいました。

六角氏に従っていたため、信長に攻められ落城するんだね。

      
     
「新川神社 立入城」

立入秀興のお城だね。

立入氏の書に、光秀が美濃土岐氏の出身とある。

そして信長を天下統一へ導いた人らしいよ。

   
    
「昭和の悠紀斎田(ゆうきさいでん)」

昭和3年、昭和天皇の大嘗祭(だいじょうさい)に供えるお米に、野洲市三上の田が選ばれたんだね。

     
 
「天保義民碑」

江戸時代の後期、甲賀騒動・甲賀一揆・三上騒動などと云われた百姓一揆だね。

幕府による不当な検地に抗議した一揆、その後、農民に対して取り調べが行われ、多くの農民が犠牲になりました。

   
  
「三上陣屋」

美濃郡八幡城主・遠藤常久は七歳で家臣に毒を盛られ、その結果2万4千石は没収されます。

元禄13年(1700)、近江三上に移され、陣屋を構えたのです。

   
    
「行畑城」

ここは学校、お城の詳しいことも分からないし、もうクタクタだね。

でも新幹線が走っている、いつも出張で見るところだよ。

意味もなく、うれしい、もう少し歩くよ。

   
 
「近江富士」

歩いていて、いつも気になる山がある。

あっち向いても、こっち眺めても、風景の中に映っている。

早く追い越さなければ、次に進めないね。

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