彦根〜田村 | |
久しぶりの琵琶湖畔。 出ました、ひこにゃん、うれしいな。 帰りのホームはさびしいよ。 |
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ひこにゃんに出会うと彦根に来たように感じる。 今や彦根城とともに有名。 実際、「ひこにゃん」と「くまモン」ぐらいじゃないかな。 |
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彦根城だね。 今回は遠巻きに眺めるだけ。 でも国宝は、どこから見てもきれいです。 |
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久しぶりの琵琶湖畔です。 さざなみ街道を歩きます。 ここは瀬田唐橋から63kmぐらい。 |
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「朝妻神社石塔」 鎌倉時代後期のものらしい。 宝篋印塔は、元々「宝篋印陀羅尼経」というお経を納めるためのものだそうです。 |
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「朝妻城」 朝妻神社あたりが城跡。 小谷城主・浅井氏が六角氏に対抗するため、太尾城・磯山城・佐和山城とともに築いたお城です。 天文年間(1532-55)の頃は、新庄蔵人がいたらしいよ。 |
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朝妻の湊は、奈良・平安時代から北近江、美濃、信濃から朝廷に献上品を運ぶため「大膳職御厨(朝廷の台所)」がおかれます。 明治18年、JR米原駅ができて、湊も廃止されました。 |
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山内一豊の母「法秀院」は、尾州黒田城が信長軍の夜討ちで落城した際、夫「盛豊」を亡くします。 三男「一豊」を連れて落ちのび、当地の長野家に身を寄せました。 |
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「法秀院の墓」 後に、妻千代の「内助の功」を得て、立身出世をとげ、土佐藩主となり、晩年を迎えます。 一豊の死後、土佐藩が母の墓を当地で探し出したことが、長野家の資料に残されているそうです。 |
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この辺りに来ると、いつも伊吹山とこのドームが見えてるよ。 いったい何をするところかな。 あまりにも風景とマッチしていないのが、いいところだね。 |
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田村駅、誰もいない。 ススキもゆれる、秋ですね。 一人待つホーム、これがたまらなく、さびしくて・・。 |
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