神功皇后と住吉神社

兵庫県明石市魚住町中尾
 
神功皇后が船で九州まで向かうことを知った伊和大神の子・爾保都姫神(にほつ)は、航路が安らかであるようにと丹塗り用の赤土を差し出します。

皇后は、それを舟の前後に立てた天の逆鉾(さかぼこ)や兵士の着衣に塗り、さらに海水にも投げて安全を祈りました。

  
ここは明石市魚住町の住吉神社です。

第14代・仲哀天皇の皇后である神功皇后が新羅遠征の時、この地に泊まられ、海上平穏を祈りました。 

    
堺の住吉大神が、「播磨の国に渡り住はむ、藤の枝の流れ着いたところに我をいわい祀れ」とお告げを出されます。

海に浮べた藤は、この地に流れ着き神領地と定められ、住吉神社が祀られたのです。

  
仲哀天皇の父が日本武尊(ヤマトタケルノミコト)、その父は景行天皇だよね。

日本武尊は景行天皇と日岡に眠る播磨稲日大郎姫(はりまのいなびのおおいらつめ)、つまり印南別嬢だよ。

つながっているから面白いよ。

すぐ前は海、大古から変わらない風景なんだよね。

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