播磨国に流れる加古川の下流、ここは三社大神社。 遠く「播磨風土記」の頃には「南毘都麻(なびつま)の島」の地といわれています。 |
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第12代・景行天皇は印南別嬢(いなみのわきいらつめ)を妻に迎えるため、播磨へと出向くのですが、それを知った別嬢は身を隠したのが「南毘都麻(なびつま)の島」です。 賀古松原で別嬢を探していると、海に向かって吠えてる犬を見つけ、別嬢の犬と知り、ついに別嬢と会うことができるのです。 |
ここに大きな小松原城の石碑がある、弘長元年(1261)、赤松盛忠が北条重時より印南小松原の地を与えられ、小松原盛忠と名乗るんだ。 日本武尊(ヤマトタケル)の母となる印南別嬢、今では加古川の日岡稜にお隠れになっているんだね。 |
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