小宅神社

  
神功皇后と応神天皇の二神が祀られているよ。

神功皇后が応神天皇を産んだ時、香坂皇子と忍熊皇子は幼い皇子が次の皇位になることを恐れ、神功皇后を攻撃しようとしたんだね。

  
1800年余りの昔、現小宅は漢部の里と呼称されており、当時の里長は小宅泰之公でした。

小宅泰之公は、神功皇后が三韓御征討から還上に艦を萩原の里に碇泊された時、品陀天皇(応神天皇)の異母兄である香坂皇子と忍熊皇子の謀反を聞いて、逸早く皇后に伝えます。

皇后はいたく喜ばれ、二皇子を討つべく出発せんとされた時、皇后は小宅泰之公に韓人を複数名預け、又一個の奇石を賜まわられました。

   
その後、神功皇后が崩御された時、小宅家では皇后よりの賜を皇后の神霊としてお祀りし崇敬されました。

のち持統天皇の時代には、川原之若狭の子孫智麻呂が里長になり、漢部之里を小宅之里に改名します。

そしてこの里に神殿を造営し、小宅家に祀られていた神功皇后の神霊と応神天皇の二神を勧請したのが小宅神社なのです。

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