兵庫県揖保郡太子町鵤709 | |
|
|
兵庫県の古代史跡 | |
「いかるがでら」と言います。 推古天皇14年(606)秋7月、聖徳太子は勝鬘経(しょうまんぎょう)や法華経を講じられ、これに深く感動された天皇より播磨国の水田を賜りました。 太子は仏法興隆のために、法隆寺に寄進され、のち法隆寺の荘園「播磨国鵤荘(いかるがのしょう)」となり、荘園経営のために斑鳩寺が建立されました。 |
|
|
|
室町時代後期の天文10年(1541)、播磨守護大名・赤松氏と山名氏の争いにまき込まれ灰燼となりました。 その後、龍野城主・赤松政秀と子・広英らにより復興され、境内には赤松氏の供養塔も建てられています。 『太子町HP、Wikioediaを参照』 |
|
|