| Home 兵庫県の古代史跡 |
| 山陽道は奈良時代から平安時代にかけて、都と九州の太宰府を結ぶ重要な道でした。 山陽道には、外国の使節や役人に対して、馬の乗り継ぎや食料の支給、宿泊所の提供などを目的とした駅家が置かれました。 全国には402ヶ所以上置かれた駅家も、そのほとんどが開発により失われてしまいます。 その駅家の跡に出かけてみます。 『野磨駅案内より』 |
| 1 葦屋駅家 |
| 「深江北町遺跡」 |
| 神戸市東灘区深江北町・深江本町・本庄町 |
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| 2 須磨駅家 |
| 「旧前田家邸宅公園」 |
| 神戸市須磨区天神町 |
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| 山陽電鉄「須磨寺駅」の東側にある「旧前田家邸宅跡」も候補の一つらしい。 案内には901年に菅原道真が九州大宰府に流される途中、風波のために休んでいただいた。 その時、前田家の人が井戸の水をくんで差し上げたところ、道真は大いに喜んだと云われているよ。 |
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| 3 明石駅家 |
| 「太寺廃寺(たいでら)」 |
| 明石市太寺 |
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| 明石駅から南東、柿本神社あたりを北へ上ります。 この東側に、高家寺があり、そこは太寺廃寺でした。 ここは菅原道真が明石駅長との出会いの碑らしいよ。 吉田南遺跡も候補地だそうです。 |
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| 4 邑美駅家(おうみ) |
| 明石市魚住町長寺・金ヶ崎 |
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| 国道2号線を北へ、大道池の西にあるよ。 長坂寺は聖徳太子が創建した長幡寺のことで、秀吉の三木合戦で焼けてしまうんだ。 平成22,23年の調査で、一辺80mの築地塀跡がある駅家であることがわかりました。 |
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| 5 賀古駅家 |
| 「古大内遺跡」 |
| 加古川市野口町古大内 |
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| 一回通るだけでは、通り過ぎるよ。 古大内遺跡との案内がある。 ここから出土する古瓦が、播磨国分寺系の瓦であることから、駅家の跡と考えられています。 駅馬40疋を置いていたので、わが国最大の駅家といわれているよ。 |
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| 6 佐突駅家 |
| 姫路市別所町北宿 |
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| 以前は天川中学校、今では倉庫会社がある所だよ。 こう少し西に、佐土という地名もあるけど、実際はこの場所あたりらしいよ。 北には馬が谷という地名も残っているけど、今では何も残っていないみたい。 |
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| 7 草上駅家 |
| 「今宿丁田遺跡」 |
| 姫路市東今宿 |
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| 8 邑智駅家(大市駅家) |
| 「大市中遺跡、向山遺跡」 |
| 姫路市太市中 |
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| 風土記揖保の郡邑智里の冒頭には「駅家」と書かれているらしい。 少し奥に進むと「岩倉城三宝荒神社」の石標がある。 お城だったのかな。 |
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| 9 布勢駅家 |
| 「小犬丸遺跡」 |
| たつの市揖西町小犬丸 |
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| 発掘調査で「驛」と書かれた土器や「布施駅・・」と書かれた木片、および7棟以上の建物跡が見つかっています。 建物は礎石柱で瓦葺、白壁で赤塗りで豪壮華麗なものだったらしいよ。 |
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| 10 高田駅家 |
| 「辻ヶ内遺跡」 または 「神明寺遺跡」 |
| 赤穂郡上郡町佐用谷 または神明寺 |
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| 11 野磨駅家 |
| 赤穂郡上郡町 |
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| 全国で駅家跡と確定されているのは、野磨駅と布勢駅家の二ヶ所です。 ここは「今昔物語」や「枕草子」に登場するらしいよ。 |
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