和気清麻呂公像

岡山県和気郡和気町藤野138

岡山県の古代史跡
 
和気清麻呂公は、天平5年(733)備前国の藤野郡(和気町)に生まれ、長じて国政に参与し、政治の浄化と革新に大きな役割をはたしました。

また長岡遷都・平安京の建設・河川改修・港湾工事を行い、また学校を建てて人材の育成に務めるなど多くの業績を残しています。
  

「我独り天地に慙ず(われひとりてんちにはず)と読みます。

神護景雲3年(769)、僧道鏡が皇位を望む事件が起こり、それに対して誰も逆らわず黙っていた時、清麻呂公は天皇の命により、ただひとり豊前国(大分県)の宇佐神宮に詣でます。

「わが国は初めから君臣の分が定まっている。 道にはずれた者は速やかに排除しなければならない」という神託を得て、堂々と報告し、道鏡の野望をくじき、命がけで国家の危機を救ったのです。

『現地案内を参照』