矢喰の岩 (やぐいのいわ)

岡山県岡山市北区高塚

岡山県の古代史跡
  
矢喰神社の境内に大きな岩がころがっています。

第10代崇神天皇の時、吉備には百済の王子温羅という者がいました。

両目が大きく、毛髪赤く、頬骨強大、身の丈抜群、その性勇敢で腕力絶大、常に仁義を守らず、日本を覗わんとする志がありました。

時には西国より帝の京に送る貢物を奪い取り、また近くの里に来ては人民を悩ませ、人々は温羅の城郭を鬼の城と恐れていました。

温羅を征伐するために、第7代・孝霊天皇の王子・大吉備津彦命を派遣します。

彦命が矢を放てば、温羅の矢と空中で噛み合い、海中に飛び入り、その処に宮を建てたのが、ここ矢喰宮と云います。

彦命は再び二本の矢を放つと、一つは喰い合って海中に入り、もう一つは温羅の左目に命中し、血は流水のようになり、その所を血吸川と云いました。

温羅は雉となると、彦命は鷹となり追い、温羅は鯉となって血吸川に入ると、彦命は鵜となって噛んでこれを揚げ、その地は鯉喰宮といいました。

ここの大きな石は、矢が姿を変えたものといわれたり、温羅が投げた岩とも云われています。

『現地案内を参照』