足利義政公供養塔
日野富子のお墓

岡山県赤磐市沢原1208
   
岡山県 応仁の乱史跡
   
山陽自動車道「瀬戸IC」から美作岡山道路(79号線)を乗り継いで「熊山IC」から403号線を東へ走ります。

つき当りの258号線との三差路を403号線側の南へ曲がり、400mほどで小野田川を西へ渡り、300mほど進むと北側には自性院常念寺がありました。

    
左が室町八代将軍・足利義政公の供養塔、右側は義政公御台所・日野富子のお墓です。

日野富子は、九代将軍・義尚の母でもあり、義尚の補佐をしていました。

文明15年(1483)、義尚と対立し、都落ちを決意して、赤松政則の家臣・浦上則宗により、沢原に安住の地を求めました。
      
延徳元年(1489)、義尚が25歳で病没し、次の年には夫義政も病気で亡くなりました。

富子はこの地に一寺を建立し、夫と子の慰霊と念仏の生活を送ります。

明応5年(1496)、57歳で没し、都からの従者原氏によって、夫や子の傍に埋葬されているのです。

『現地案内を参照』
   

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