足利義尚公陣所跡

滋賀県栗東市栗東町上鈎
   
滋賀県 応仁の乱史跡
   
山陽自動車道「瀬戸IC」から美作岡山道路(79号線)を乗り継いで「熊山IC」から403号線を東へ走ります。

つき当りの258号線との三差路を403号線側の南へ曲がり、400mほどで小野田川を西へ渡り、300mほど進むと北側には自性院常念寺がありました。

    
当寺は、室町幕府九代将軍・足利義尚が長享元年(1487)10月から長享3年(1489)までの間、この地に構えた御所跡に建てられています。

義尚は義政と日野富子の長男として、寛正6年(1465)に生まれ、文明5年(1473)将軍に就任しました。

応仁の乱で諸国が乱れ、将軍の権威が失墜する中での就任でした。
      
応仁の乱後、近江守護・六角高頼が勢力を持ち、公家や寺社の領地を配下の国人衆に分け与えていました。

そこで足利義尚は、六角高頼征伐のために近習・奉公衆ら直轄軍を自らが率いて出陣しました。

大津市坂本から安養寺へ、そして真宝館へと陣替えしています。

『現地案内を参照』
   

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