兵庫県神戸市兵庫区兵庫町1丁目2-8 | |
兵庫県の太平記史跡1 | |
JR兵庫駅から南の阪神高速下の43号線を東へ走ります。 七宮交差点の一つ西の信号を北へ曲がり、次の道を西へ曲がると藤之寺がありました。 |
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兵庫津の豪商である北風家の伝承によると、建武3年(1336)、白藤姓を名乗っていた第44代・白藤惟村が南朝の後醍醐天皇方に加勢し、新田義貞に味方します。 足利尊氏と勇敢に戦い、北風に乗じて兵庫の浦で尊氏の軍船の大半を焼き、尊氏は九州へと逃れました。 義貞から、軍忠状とその佩刀を賜り、「喜多風」、のちに「北風」の名を与えられたのです。 |
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もとは西光寺と号していましたが、この寺は北風家の菩提寺であり、「白藤氏の菩提寺」ということで、「藤の寺」と呼ばれたと云われています。 北風家といえば、淡路の高田屋嘉兵衛を援助するんだよね、高砂の工楽松右衛門も登場するよね。 『兵庫区役所まちづくり-楠木正成と南北朝の争乱-より』 |
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