兵庫県豊岡市上鉢山 | |
兵庫県の太平記史跡2 | |
豊岡市の鶴岡橋で円山川を渡り、 国道482号線を東へ、出石への途中248号線を北へ曲がります。 出石川を渡り2kmほど走ると標高50mの鉢山城(はちやま)がありました。 |
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観応元年(1350)、北朝内で尊氏と弟・直義が対立すると、直義は南朝方に付き、山名時氏も直義の子・直冬に付いて南朝方になりました。 文和三年(1354)、足利義詮が後光厳天皇を奉じて上洛すると、山名時氏・師義父子は足利直冬を奉じて京都へ進みます。 延文元年(1356)、足利直冬や山名時氏の滅亡を図るために、北朝方は今川頼貞に属する伊達真信を中心に、但馬の南朝方討伐を開始しています。 |
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まずは伯耆・因幡との連絡路を絶つために温泉城(美方郡新温泉町)を攻め、次に宿南城(養父市八鹿町)、八代城・木崎性法寺城(豊岡市)、水生城(豊岡市日高町)などを落としました。 延文三年(1358)、ついに南朝方の中心・三開城へと迫る時、北朝方の伊達朝綱が陣を構えたのが鉢山城なのです。 『参考文献を参照』 |
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