兵庫県尼崎市常光寺3丁目5-1 | |
兵庫県の太平記史跡1 | |
JR神戸線「尼崎駅」から東の74号線(長洲線)を南へ、尼崎工業高校前交差点を東へ曲がります。 まもなく常光寺元町交差点を北へ、100mほどの東側には浄光寺がありました。 |
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康安2年(1362)、南朝方の楠木正儀(まさのり)・和田正武勢は大阪天満宮あたりの天神の森に陣を置き、北朝方の箕浦俊定は浄光寺を城として利用し陣を構えたと云われています。 楠木・和田勢は箕浦勢を破り、湊川まで攻めると、京から足利義詮が斯波義種を援軍に出すと、楠木正儀は撤退するのです。 と断片的に見ても、どうもよく分からないね。 |
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箕浦氏、どこかで見たようなと思ったら、お城探索で滋賀県米原の「箕浦館」に出てくるね。 佐々木道誉の守護代だったんだ。 そして摂津の戦いで敗れ、米原に移り住んだらしいよ。 |
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