兵庫県神戸市中央区楠町7丁目3-2 | |
兵庫県の太平記史跡1 | |
JR神戸駅から北側の湊川神社を越えて、地下鉄西神・山手線の「大倉山駅」をさらに北へ歩きます。 まもなく大倉山公園があり、公園の南西には広巌寺(楠寺) 瑠璃光苑がありました。 |
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元徳元年(1329)、後醍醐天皇の勅願により明極楚俊禅師により創建されました。 建武3年(1336)、楠木正成がここのお寺に参り、明極禅師と問答し、湊川の戦いにいどみます。 また楠木正成が戦死した翌年に、赤松範資が建立したとも云われています。 |
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延宝年間(1673-81)、千巌宗般が荒廃していたこの寺を再興し、千巌は楠木正成を崇拝し、徳川光圀が楠公の碑を建てたい気持ちを知り、この地に建立します。 「楠公の一族十三人、士卒六十余人、この寺に入りて、建武3年5月25日に戦死す。 明極楚俊禅師が遺骸を葬る」とあります。 この石碑が光圀の「嗚呼忠臣楠子之墓」の碑かな、水戸黄門という文字は分かるのだけど。 『Wikipediaより』 |
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