師直塚

兵庫県伊丹市池尻1丁目
兵庫県の太平記史跡1 
 
JR伊丹駅から北の334号線を西へ走り、171号線と合流して、さらに西へと進みます。

昂揚里交差点の北側の少し西には師直塚がありました。

 
高師直は、南北朝時代の武将で足利尊氏が上洛の折、すでにその側近にあり、足利家の執事として、北畠顕家(あきいえ)を倒し、河内の南朝軍を弟・師泰とともに制圧し、楠木正成を敗死させるなどの功績がありました。

観応2年(1351)、尊氏が足利直冬を討伐するため中国地方に遠征している時、高師直・師泰(もろやす)は、南朝に味方した尊氏の弟・直義により、摂津国打出浜で討ち取られるのです。(打出浜の戦い)

   
京都へ護送される途中、上杉能憲勢の待伏に遭い、この地において、子息五郎、弟師泰と共に討たれ、高一族は滅びました。

師直らの没後、この辺りに墓らしき塚が残っていましたが、いつしか耕作の妨げになるとしてくずされましたが、師直らの魂をしずめるため、大正4年、山田村の有志により現在の師直塚が建碑されたのです。

『現地説明を参照』

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