石龕寺(せきがんじ)

兵庫県丹波市山南町岩屋2番地
兵庫県の太平記史跡2
 
中国自動車道「滝野社IC」から175号線を北へ、西脇を過ぎて「井原南三差路」を東へ、200mほどで北へ曲がります。

山の中の道を1kmほど走ると石龕寺がありました。

   
用明天皇の丁羊の年(587)、聖徳太子の開基と云われています。

鎌倉時代から室町時代にかけて隆盛をきわめ、山門の仁王様(金剛力士像)は、大仏師定慶の作で、日本屈指の名作だそうです。

南北朝時代、足利尊氏が弟直義との争い(観応の擾乱)に敗れ、一時京都から播磨に逃れるとき、嫡子義詮に仁木頼章、義長兄弟を添え、二千騎を当山に留めています。

    
山の上900mの所に奥の院があって、そこが石龕寺の発祥の地です。

その近くに足利義詮が、一時逗留したと伝わる将軍屋敷跡もあるらしいよ。

ここは焼尾神社、石龕寺の鎮守として弁財天が祀られています。

美女神であることと、幸運や財宝、福徳の神として特に作家や音楽家、歌手、俳優のあいだで人気があるらしい。 会社員一般職でもいいのかな。

  
中世末期には、信長の丹波攻略を受け、天正7年(1579)一山ことごとく焼失、仁王門を残すのみとなったのです。

2020年の大河ドラマは明智光秀だね、すごくかっこいい武将だよね。

『現地案内を参照』

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