親王塚

兵庫県姫路市香寺町須加院
兵庫県の太平記史跡
 
JR播但線「仁豊野駅」から国道373線を北へ、須加院三差路を西へ曲がり、道なりに走ります。
80号線が真っすぐと、西へと2つに分かれる100mほど手前の西側には親王塚がありました。

この塚は、後醍醐天皇の第三皇子・護良親王の御子陸良親王の塚と云われています。

親王は観応の擾乱に赤松則祐に奉じられて、弥高山城(姫路市砥堀)から伊勢山(香寺町犬飼)まで進軍するのですが、不幸病にかかり命を落として、この地に葬られました。

  
陸良親王(別名赤松宮)は、足利尊氏と南朝が講和した正平の一統(1351)の尊い犠牲になったのです。

塚により付近の地を親王塚垣内、略して親王垣内と言いましたが、明治以降は新野と改めました。

しかし、土地の人は今なおシンノーと呼んでいるのです。

『現地案内を参照』

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