石峯寺城(しゃくぶじ)

兵庫県神戸市北区淡河町神影
兵庫県の太平記史跡1 
 
山陽自動車道、三木東ICを出て38号線を東へ走ります。

淡河城を過ぎて「好徳小前交差点」から北の道1.5kmほどには石峯寺(しゃくぶじ)があり、その背後の山にはお城がありました。

  
元弘三年(1333)、足利尊氏や赤松円心らが京都の六波羅探題を落とし、鎌倉では新田義貞が北条氏を滅ぼして鎌倉幕府は滅亡しました。(元弘の乱)

後醍醐天皇は建武政権を樹立したのですが、元弘の乱の恩賞は公家に厚く、武士には薄かったため武士たちの不満が高まります。

円心も播磨守護職をなくして佐用荘の地頭職のみになり、播磨は新田義貞に与えられるのです。

   
建武三年(1336)、九州で勢力を回復した足利尊氏は神戸の湊川で新田義貞と楠木正成を破ると、京都に入り室町幕府を開きました。

南北朝時代が始まると、足利方の円心は播磨守護職に任じられ播磨や摂津の南朝方と争いました。

ここ神戸市北区には新田一族の金谷経氏が南朝方として赤松氏の攻撃に対抗し、この石峯寺にも南朝方の僧兵が籠もったお城と云われています。

『参考文献を参照』

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