姫 塚

石川県鹿島郡中能登町春木13-46
石川県の太平記史跡 
  

JR七尾線「能登二宮駅」から18号線の氷見田鶴浜線を北西へ走ります。

2号線を超えて400mぐらい、西へ曲がると「いきいき公園」、この地が姫塚になっています。

    
鎌倉時代の末期、後醍醐天皇は倒幕に失敗し、隠岐の島に流されました。

天皇ゆかりの姫も都を逃れて、この地にいたり、坊守という名目でお招きし、ひっそりと暮らしていました。

やがてお亡くなりになったので、ここに手厚く葬り、いつのころからか姫塚と呼ぶようになったのです。
      
この木々の裏には、石が積まれています。

姫塚の西方一帯は、林照寺の前身「常陸道場」があった所といわれています。

北西には墓地があり、墓地の南東の少し離れた田の中に堂塚(殿塚ともいい)があったと云われています。

『現地案内を参照』 

Home  石川県の太平記史跡