篠村八幡宮
(足利高氏旗あげの地)

京都府亀岡市篠町篠八幡
京都府の太平記史跡 
  
JR山陰本線「亀岡駅」方面から9号線を東へ走ります。

篠の信号から北へ曲がり、402号線で東へ曲がると、まもなく北側には篠村八幡宮がありました。

   
延久3年(1071)、後三條天皇の勅宜により、源頼義が河内国の誉田八幡宮から御祭神を勧請しました。

源頼義から十代末裔の足利尊氏は、元弘3年(1333)、戦勝祈願の願文を奉じて10日間滞在し、のち六波羅探題を滅ぼし建武中興のきっかけを掴むのです。

   
建武3年(1336)、後醍醐天皇と決別した後、一旦占拠した京都攻防戦で敗れ、この神社で敗残の味方の兵を集め、再起を祈願して九州へ逃れました。

一ヶ月で九州全土を平定し、東上して湊川の合戦で勝利し、室町幕府を開くのです。

これは「矢塚」です。 願文とともに鏑矢を供え、多くの武将も続けて供えて埋納した場所と云われています。

  
旗立楊(はたたてやなぎ)です。

高氏が味方の武将に所在を知らせるため「二引両」の家紋が入った旗を掲げた楊です。

この旗印は「源氏の白旗」だったのです。

『現地案内を参照』

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