後醍醐天皇 塔尾陵

奈良県吉野郡吉野町吉野山1024
奈良県の太平記史跡 
  
ここは吉野如意輪寺です。

北条幕府を倒し、建武中興を成しとげた後醍醐天皇は、足利氏との争いのため京都を逃れ、吉野山へ行幸、以来4年間吉野の行宮に過ごされました。

延元4年(1339)、病床に就かれ「身は仮へ南山の苔に埋まるとも魂魄(たましい)は常に北闕(ほっけつ)の天を望まん」と都をあこがれ、遂に崩御されました。

天皇の遺骸をそのまま北向きに葬ったのが「塔尾陵」なのです。

   
この石は後醍醐天皇が腰かけた「腰掛石」だね。

後ろの木は楠木正行公がお手植の木斛(モッコク)だよ。

楠木正成の子・正行公が四条畷の決戦(足利の武将高師直との戦いに向かう時、如意輪寺の扉に辞世の歌を残しています。

『現地案内を参照』
  

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