滋賀県米原市番場511 | |
滋賀県の太平記史跡 | |
滋賀県の名神高速路「米原IC」から240号線を南へ、番場の集落には蓮華寺があります。 鎌倉幕府方、北条仲時の最後の地なのです。 |
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鎌倉幕府は京都守護を改め、京都六波羅探題を北と南に置きました。 北条氏一門の第13代執権である基時の子である仲時は、六波羅探題の北方につきました。 |
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元弘3年/正慶2年、後醍醐天皇の綸旨を受けて、足利尊氏や赤松則村が挙兵、六波羅探題を攻め落とします。 京都合戦に敗れた北条仲時は、北朝の天子・光厳天皇、後伏見上皇、花園上皇を奉じて、中山道を下り関東へ向かいました。 |
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途中、佐々木道誉の軍勢に行く手を阻まれると、天子さまの玉輦(ぎょくれん)を番場の蓮華寺に移します。 しかし南朝方に囲まれ、大いに戦うも敗退し、庭にて仲時以下従士430名余自刃するのです。 『現地案内を参照』 |
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