勾当内侍のお墓

滋賀県大津市今堅田2丁目32-3
滋賀県の太平記史跡 
  
琵琶湖大橋の西岸の南側には野神神社、その境内には、新田義貞の妻・勾当内侍(こうとうないし)のお墓がありました。

    
内侍は藤原行房の妹で、後醍醐天皇に女宮として仕え、のちに新田義貞の妻となりました。

延元元年(1336)、義貞は足利尊氏軍と戦ったのですが利あらず、恒良親王、尊良親王を奉じて越前に向かう途中、内侍をこの今堅田に残します。

その後、延元3年(1338)、7月2日義貞が越後国藤島で戦死したことを聞いた内侍は、悲しみのあまり琴が浜に身を投げたのです。
      
村人たちは、内侍を哀れに思い、塚を築き、社を建立して野神神社と呼ぶようになりました。

内侍の命日が9月9日(旧暦)であったので、新暦の10月8・9日は、内侍の霊を慰めるために例祭が行われているのです。

『現地案内を参照』

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