天文六年(1537)、信長の叔父にあたる織田与次郎信康によって造られました。
戦国時代なので、その後何代も城主が代わりましたが、1600年の関ヶ原の合戦を中心に、城郭は整備されていきます。
小牧長久手合戦(1584)の際には、秀吉は大阪から十二万余の大軍を率いてこの城に入り、小牧山に陣をしいた家康と戦いました。
江戸時代になり、尾張藩の付家老、成瀬隼人正正成が元和四年(1618)城主となってからは、成瀬家が代々うけついで明治にいたりました。
明治四年(1871)九代目成瀬正肥のとき廃藩置県で廃城となり、櫓や城門など天守閣を除く建物はほとんど取り壊されてしまいました。
明治二十四年の濃尾震災で天守閣の東南角の付櫓など、ひどく壊れましたので、それを修理する条件で再び成瀬家所有の城となります。
その後、伊勢湾台風などでも被害をうけましたが、昭和三十六年(1961)から四十年まで四年かけて解体修理をおこないました。 望楼型の独立天守で、高さは二十四mです。
国宝に指定されている犬山城、松本城、彦根城、姫路城の四城のなかでも、最も古い城であります。
『現地案内を参照』
|