寛延二年(1749)、内藤政苗(まさみつ)が挙母藩主となり、本多陣屋跡に桜城を着工しました。 明和元年(1764)、たび重なる矢作川の大洪水により、二代目内藤学文は樹木台に御殿を建て、四年後には七州城を築きます。 明治四年(1871)、廃藩置県により、隅櫓や大手門などが取り壊されるのです。 『参考文献を参照』