慶長十五年(1610)、関ケ原の戦いの後、家康が大坂城を攻略するために濃尾平野に築いたのが名古屋城です。
この時、清洲城では水害の恐れがあったので小牧城・古渡城・那古野城の三候補のうちから那古野城跡と決めました。
家康は前田利常、池田輝政、蜂須賀至鎮、加藤清正、加藤嘉明、福島正則、黒田長政、鍋島勝茂、浅野幸長、毛利秀就などの北国・四国・中国・九州の諸大名に命じて築城させています。
元和元年(1615)、家康の九男・義直が大坂夏の陣ののちに名古屋城へ入り、十七代・慶勝まで尾張徳川家の居城となりました。
『参考文献を参照』
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