大永元年(1521-28)の初め、今川氏親(義元の父)が名古屋台地の西北端に築いたもので、一名「柳の丸」といいました。
氏親は、一族の氏豊を城主として守らせていたのですが、天文元年(1532)には織田信秀に城を奪われました。
その後、信秀が居城し、天文三年(1532)、信長はここで生まれてと云われています。
同年、信秀は古渡城に、また弘治元年(1555)、信長も清洲城へ移り、一族の信光が居城したのですが、やがて廃城となりました。
慶長十五年(1610)、名古屋城築城の際、二の丸の一部となりました。
『現地案内を参照』
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