古城島甘崎城跡は、古名を天崎城と記され、守護神を祭る甘崎荒神社(現地)の伝えによると、天智天皇十年(671)八月七日唐軍の侵攻に備え、勅命によりて築城すと伝えられています。
その初名を上門島海防城といい、以って日本最古の水軍城とすべく、以来瀬戸内水軍史上にその名を記し、重ねることはなはだ多く、元禄四年(1691)この沖を航したドイツ人ケンペルも帰国後、「日本誌」にその雄姿を記して、「海中よりそびゆる堡塁あり」と述べています。
今日の姿になったのは、幕末のころらしく、海底にはなお築城礎石の巨石の列二十余条延べ約1000mを存し、その技法の一部は古代に属するものと見られています。
『現地案内を参照』
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