弘安四年(1281)、元寇の役の時、河野通有の弟・通成が分家し、この地に館を建て土井氏を名乗ります。
元弘三年(1333)、後醍醐天皇の鎌倉討幕の時、通成の子・通増は同じ河野氏の支族である得能氏らと懐良親王の命旨を得て討幕の兵を挙げました。
幕府は伊予の反幕勢力を制圧するため、長門探題の北条時直に命じ、土居氏の本拠を攻めさせます。
北条勢は、土居城を眼下に見下ろす星ノ岡に陣を構えると、対する通増は得能氏・忽那氏・大祝氏らの援助を得て勝利をおさめ、幕府側に大きな打撃を与えるのです。
『参考文献を参照』
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